「Fole」 May 2005 記事

スローライフ新紀行

だから私は田舎暮らしを始めた Vol.5

群馬県前橋市駒形町 町田恵美さん

さらば東京OL暮らし
造り酒屋の伝統を受け継ぐ
県内初の女性杜氏の心意気

造り酒屋の三姉妹の長女である町田恵美さんは5年前、「跡継ぎ」という重圧から逃れるための東京暮らしを打ち切り、群馬県前橋市の実家にUターン、県内初の女性杜氏の道を歩み始めた

造り酒屋のシンボルである杉玉に見守られ、日本酒造りに余念がない町田恵美さんと夫の晶也さん。共に1975年生まれの若い二人だが、銘酒「清りょう」の伝統の品質を重んじながら、新しい酒を模索する研鍍の日々を送る。「亭主関白」も「かかあ天下」も以前造っていた本醸造の銘柄を復活させた新バージョン。明治時代から続く伝統ある蔵元の趣を残すべく、元の建物の材料を再利用して改築された店舗は「まえぱし都市景観賞」に選ぱれた

取材・文 清木たくや

「うちに転職してきたら?」
母親の提案で∪ターン

町田恵美さんが家業を継ぐということをはっきり意識し、覚悟を決めたのは、東京でのOL生活が丸三年を経過したころである。
実家の町田酒造店(前僑市駒形町)は一八八三(明治十六)年創業の老舗の蔵元。三姉妹の長女として育ち、両親はそれほどでもなかったが、周囲の人たちからは家を継ぐのが当然のように散々言われ続けてきた。

「だから本当はもう、正直言って、うんざりしていたんです。子どものころから、サラリーマン家庭の同級生がうらやましくて仕方なかった。逃げられるものなら逃げたいなって、ずっと思ってましたよ」
地元の女子高を卒業し、進学のために東京に出て、若者のメッカ・三軒茶屋で独り暮らしを始め、大学卒業後はそのまま都内で就職した。みんな自分で決めたことである。両親もわりと自由にさせてくれた。

「単純に、田舎を出て東京で暮らしたかったんですね。ワンルームで普通のOL生活っていうのが、私のささやかな夢だったので(笑)。でも、何ていうか、長女特有の呪縛のようなものがあるんですよ。二女や三女のような生き方は、白分にはできないと思ってました。夢を形にしている妹たちのように、何か特別な才能があるわけでもないですしね」
すぐ下の妹は、ずっとクラシックバレエを習っていて、今はディズニーシーでダンサーを務め、ショーに両親を招待したりしている。末っ子の妹は、パティシエになるために製菓の専門学校に通う毎日だ。

何せまだ修業中です。
同い年の主人と
酒造りに熱中できて
幸せですけれど
ー町田恵美さん

OLから家業の跡継ぎへと恵美さんの人生が急転回するきっかけは、「ささやかな夢」をかなえたものの転職で悩んでいた時期に、母親から電話で提案されたひと言にあった。「どうせなら、うちに転職してきたら?」
当時、恵美さんには同い年の恋人もいた。埼玉出身の現在の夫の晶也(あきや)さんだ。だが当然のことながら、恋愛を結婚に熟成させるには、酒造りに勝るとも劣らない試練を伴うことになるのである。

越後杜氏に鍛えられ
県内初の女性杜氏に

町田酒造店では創業以来「卯三郎」を襲名することになっていて、現在は、恵美さんの父親が四代目卯三郎として社長業にいそしみ、母親の富子さんが事務を取り仕切っている。
それは、恵美さんが晶也さんと一緒に実家の蔵元に「転職」した二〇〇〇年当時も今も変わっていない。もっとも、当初は恵美さん自身、まさか自分たちが越後杜氏にみっちり鍛えられて杜氏になるとは思ってもいなかった。

一方、「五年になりますけど、とてもまだ一人前とはいえません。それは自分でもよくわかってます」とあくまで謙虚な姿勢を崩さない晶也さんは、当初は酒が一滴も飲めない下戸だった。酒造りや酒蔵経営にそれほど興味もなかった。勤めていた会社を辞めてまで、Iターンで恵美さんの実家に転職したのは、「ただもう、彼女と結婚したかったから」だ。純愛である。

二人の入社は両親から大歓迎され、町田酒造店の一社員として、また杜氏見習として、誠実でまじめな働きぶりが周囲にも認められ、一年後に晴れて結婚。晶也さんは町田姓となった。
恵美さんが県内初の女性杜氏ということもあり、テレビや新聞などでも盛んに取り上げられた。「でも、何せまだ修業中です。同い年の主人と酒造りに熱中できて幸せですけれど、話題ばかりが先行して、何だか気恥ずかしくて」と恵美さんは言うが、なかなかどうして、「若いのに、あの二人はよくやる」と周囲ではもっぱらの評判である。
事実、女性杜氏の道は、九四年にテレビドラマ化されて一世を風廃した漫画『夏子の酒」のようにはいかず、厳しいものなのである。

「漫画やドラマみたいにカッコいいかなと期待していた部分もあったんですけど、実際に蔵に入ってみたら、全然違ってて。結構重労働だし、冬は寒いし、何しろ地味だし。おまけに、最初のうちは昔かたぎの父親と衝突ばかりで。主人がいなかったら、酒造りも続けてこられなかったと思いますね」

若い世代が吹かせた
酒造りの新しい風

ともあれ、こうして伝統が受け継がれ、若い世代が着実に腕を磨いて、結果も出している。たとえば昨年、伝統の品質を守り通している主力製品の大吟醸「清りょう」は、関東信越国税局酒類鑑評会で優秀賞覚賞のほか、群馬県清酒品評会金賞、全国新酒鑑評会入賞と見事な成績を収めた。むろん、これは若手の精進もさることながら、創業以来「厳撰一筋」を家法に営々と酒造りの技法を培ってきた蔵元の実力がモノをいった結果と見るべきかもしれない。

恵美さんも述懐しているように、新ブランドの創出、地元の若い蔵人の採用、製品の低温管理、事務の合理化など、新しいやり方を取り入れようとする娘夫婦と四代目卯三郎さんの問に、最初はかなり激しい衝突があった。だが、今となっては、「それでよかったんだと思いますね」と母親の富子さんは振り返る。

「結局、若い世代が新しい風を吹かせてくれたんですよ。恵美も晶也くんも、まだまだこれからですし、全部任せて好きにさせるということではないんですが、今までのやり方ではダメだとわかっていますから」
厳格な先代の下でなかなか出る幕がなく、四代目卯三郎を襲名して「やっと自分の時代が来た」と思ったら、運悪くバブルが崩壊。景気の低迷で経営環境が厳しさを増すなか、思うような酒造りができずにいる夫の姿を、富子さんはじっと見守ってきた。
「時代の流れなんですよね。だから私、主人を慰めてよく言うんです。『お父さん、もう私たちの時代は終わったのよ』って」

夫唱婦随、ときには婦唱夫随
目指すはオーナー杜氏

取材当日、四代目卯三郎さんは、地元の酒造組合の催事の準備で多忙であったが、出かける前にもうじき二歳になる孫の遼太くんをあやしながら、「問屋さんがこんなものを作ってくれましてね」と、大吟醸「清りょう」の宣伝用の手作りのチラシを一枚手渡してくれた。大きな赤い文字で「群馬県初の女性杜氏是非、ご賞味ください。」とある。

周囲も応援してくれている。伝統を引き継ぐ側としても、いやがうえに自覚も高まる。将来の経営者として今後の課題もすでに視野に入っている。恵美さんは言う。
「今の若い人たちって、意外とモノづくりや職人仕事が好きみたいで、とにかく熱心なんです。でも、若さが武器になるのは一時的にすぎません。うちの蔵人はみんな二十代で独身ですけれど、これから結婚して家庭ももつでしょう。すると、待遇面でも今以上にきちんと考えてあげないといけない。経営者としての感覚や取り組みといったことが、どうしても必要になってくるんですね」

だから、父親の四代目卯三郎さんが元気に経営面を一手にこなしている今は、「私たちは現場で酒造りに熱中できているわけですから、本当に幸せですよね」と、口をそろえて言う恵美さんと晶也さん。
二人が目指しているのは、経営者の立場になっても現場で酒造りを指導できるオーナー杜氏だ。夫婦だからケンカもするし、夫唱婦随がときには婦唱夫随になることもある。若い二人が復活させ、セット販売でも好評を博している新バージョンの「亭王関白」と「かかあ天下」は、そんな二人を象徴する逸品といえよう。

 田舎暮らしで「得たもの」「失ったもの」(町田恵美さんの場合)

得たもの
・伝統ある造り酒屋を継承することを誇りに思う気持ち
・自分たちで造った酒の一番いいところを飲める特権
・職人仕事に情熱を傾ける杜氏志望の同年輩の若者たちとの交流

失ったもの
・若者が集う東京・三軒茶屋でのキャピキャピOL生活
・クリスマスや正月の楽しみ(この時期、酒造りの最盛期で休みなし)
・ブランド品や化粧品に対するやみくもな購買欲

【参考URL】
町田酒造店
http://www-seiryo-sake.co.jp/index.htm1
群馬の地酒(協賛1群馬県酒造協同組合)
http://www2.syutoken.com/jizake/index.html

(注)上記文中「清りょう」とあるのは、正しくは「清りょう」で、原文もそう記されています。ホームページでは表記できない漢字ですのでかな表記しました。